愛媛みかんのはなし
<みかんの歴史 >
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みかん栽培のはじまり

今から500年ほど前(室町時代の頃)、肥後(熊本県)や紀州(和歌山県)、駿河(静岡県)でみかんの栽培が盛んになり、特産物として全国に知られるよう になりました。

江戸時代になり、大阪や京都などに加えて、大消費地の江戸へも船でみかんをたくさん運ぶことができるようになると、みかんはますます多くの人 たちに広まりました。特に正月には欠かせない果物として親しまれるようになりました。

当時のみかんは、今のみかんより小さな紀州みかん(中国原産)がほとんどでした。しかし、400年ほど前に鹿児島県で、今私たちが食べている温州みかんが生まれました。 その後、大きくて味の良い、このみかんの品種改良が積極的に進められ、その栽培が九州からしだいに東へ広がり、やがてみかんとい えば温州みかんをさすようになりました。

みかん栽培の広がり

明治時代になるとみかんの生産地はさらに広がり、生産量も増えてきました。また、みかんを運ぶ方法も鉄道による輸送がはじまり、やがてトラック輸送も行われるようになりました。

これによりみかんは大都市や生産地の近くにとどまらず、全国のすみずみにまで届けることができるようになりました。そして、みかんの生産にも大きな変化がおとずれました。

1940年代の太平洋戦争の影響で数年の間は生産量が大きく下がりますが、戦後はそれまで以上の勢いで増えはじめ、1975年には生産量366万5,000トンに達しています。 また、1980年頃から一部の産地では、温室の中で冬に暖房し花を咲かせ、それまでみかんのなかった4月~8月に出荷する温室みかんも作られはじめました。

温室みかんは日光以外の生育に必要な温度や水をコントロールし、常においしいみかんを収穫することができます。この温室みかんの登場により、冬に限られていたみかんを食べることのできる期間は大きく広がりました。


みかん畑と多々羅大橋